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三代河井について
初代 武一、
亀岡に南丹窯を築く
1927年より叔父河井寛次郎の下にて作陶を修行。以降、寛次郎が没するまで40年近くにわたりその指導を受け、呉須、辰砂、飴釉、鉄釉など寛次郎の民芸芸術を継承。1976年、京都・亀岡市に南丹窯(登窯・ガス窯)を築く。
教えを守りつつ
独自の造形を
一家の長男として生まれた透は、父・河井武一と大叔父である河井寛次郎に師事。「ものづくりは修験者である」「陶芸をしたくてもできない人もいる中、自分は作ることができる。世の中の人に使ってもらえる作品を作ること」「楽な仕事はない。不平不満は言わず、仕事の中から喜びを見つけること」の3つの教えを守りつつ、独自の造形と文様が施された作品を亀岡の登り窯で作り続けています。
三代受け継がれる、
京焼民藝
河井家が育み、高めてきた技法の数々は、三代目となる河井亮輝の作陶に受け継がれる。京都の陶磁器は細分化された分業制が一般的だが、南丹窯ではひとりですべての作業を手がけるため、その作風が際立つ。茶陶から食器、花器までを幅広く手がけ、現代の民藝作家として精力的に作陶を続けている。南丹窯は、民藝が持つぬくもりと実用性を両立した独自の「京焼民窯」を作風としている。